垂直尾翼を修理
同行予定者が都合で行けなくなったのでパラオに一緒に行かないかと、スキューバダイビングのライセンスを持つ友人から電話があり、日本では雪が降るかもしれない時期にも関わらず、思いがけず南の島へと飛ぶことになった。こうでもしないと君は南の海なんて行かないからね、とは彼の談である。
パラオ共和国は遙か南の洋上に連なる200以上の島からなる楽園の国である。グァムのさらに南西、赤道の少し北側(緯度10度前後)にあり、日本からの直行定期便はない。日本から見てほぼ真南に位置するため時差はない。
ここはダイバーたちにとっては絶好のポイントが点在する場所であり、憧れの聖地でもあるという。そのためダイビング関連会社などが企画するパック旅行のチャーター便が、月に何回か運行されている。今回はそれを利用して、成田発のツアーチャーター便でパラオに発つこととなった。
当初、成田を夜発ち、深夜2時前にはパラオに到着するスケジュールだったのだが、出発直前、乗客の搭乗が終わってから飛行機の通信設備に異常が見つかり、修復のためにそのまま機内で待たされることになった。しかし、通信機器は機材を取り替えても直らず、今度は垂直尾翼のカバーを取り外してアンテナの修理もするという。その間、機内でアイスクリームなどを食べながら待つ。アンテナの修理でなんとか機能が回復し、ようやく離陸。パラオに着いたのは夜明け前であった。
パラオ国際空港からホテルまではバスで送迎してくれる。現地の人も、我々の到着を深夜なのに待っていてくれたわけである。なんだか申し訳ないような気になってしまう。
成田空港の飛行機の行き先表示ではパラオは「Koror(コロール)」となっている。コロールはパラオの首都の名前であり、同時に首都がある島の名前なのだが、実は空港はコロール島でなく、お隣のバベルダオブ島にある。
バスは空港を出ると、2002年に日本の技術協力で完成したばかりの、日本パラオ友好橋を渡ってコロール島へと入る。周囲はまだ真っ暗なので、景色がよいのかどうかもわからない。点々とライトと家のランプが灯っているだけである。
コロールの中心街(といっても家々が少し立ち並んでいる程度)を抜けると、今度はコーズウェイと呼ばれる浅瀬に作られた土手のような橋を渡って、ホテルがあるアラカベサン島に移動する。この橋も昭和11年に旧日本軍が建造したもので、橋のたもとには未だにトーチカの跡が残っている。
午前5時過ぎ。やっとホテルに到着である。Palau Pacific Resort(PPR)は、ホテルの敷地内に、プール、プライベートビーチ、レストラン、DFS、コンビニ、ダイビングショップ、ジムやジャグジー、専用の桟橋まで、滞在に必要なほぼ全ての施設が揃っている。日本大使館もこのPPRの敷地内にあるので大変心強い。
あとは約1週間後に飛行機が迎えに来るまで、ここと海中を往復するだけだとは友人の弁。さっそく8時にはダイビング会社の船が専用桟橋にやって来ると言う。彼はライセンスを持っているので良いのだが、まだ体験ダイビングの私は、体力にそこまで自信が持てないので、本日分はキャンセルしてもらうように友人に頼んで、そそくさとベッドに潜り込んだ。