バルト三国

2004年7月

バルト三国はどこに?

ヘルシンキの町の中を赤い路面電車が走る

バルト三国ってどこにあるの?出発前にほぼ全員から受けた質問である。
バルト三国は、ヨーロッパの北部、スカンジナビア半島の南に位置するバルト海沿岸の大陸側に並ぶ小さな国々のことである。フィンランドと海(タリン湾)を挟んですぐ南にエストニアがあり、エストニアの南にラトヴィア、そしてリトアニアと国境を接している。
三国と呼ばれるので、3つの国は兄弟関係のように、何らかの繋がりがあるのかと勘違いしやすいが、民族的にも歴史的にも別々の国であり、お国柄もそれぞれ異なる。リトアニアはポーランドと、ラトヴィアはドイツと、エストニアはフィンランドと関係が深いので、経済の発展具合や文化なども微妙に違っているのが実情だ。

日本からバルト三国への直行便はない。ヨーロッパ各都市で乗り換えることになるのだが、今回はフィンランド(ヘルシンキ)経由となった。ヘルシンキは2004年7月現在では、飛行機の定期便で行ける日本から最も近いヨーロッパである。10時間足らずで到着するが、乗り継ぎ便が悪く、初日はヘルシンキで1泊する。
フィンランドの首都ヘルシンキは、1952年にオリンピックが開催された歴史があるそうだが、私はまだ生まれていないので知らなかった。都市の中央部まで湾が入り込み、まるで湖のような光景が広がる美しい街だ。ホテルのベッドに直行するのはあまりにも失礼な気がして、市内観光へと出掛けてみた。
夏のこの時期、北欧では陽が沈まない。正確には北極圏により北側が白夜であり、ヘルシンキでは夜中近くに沈むのだが、わずかな時間でまた昇ってくるため、感覚的には白夜と変わらない。

路面電車の車内風景

町の中心部まで出ると、多くの人で賑わっているエスプラナーディ通りを歩く。やがて大聖堂が見えてくるとマーケット広場である。港の周囲に市場があり、野菜や果物、新鮮な魚介類が所狭しと並んでいる。中には、捕れたての魚をフライにしてパンに挟んでくれるお店もあった。
ここからトラムに乗って市内をぐるっと一周してみる。東京の山手線のように、ヘルシンキをぐるぐると回っている路線があるのだ。1周1時間程度。繁華街から湾のほとりを通り、市街地、そして遊園地や住宅街の間を縫うように走っていく。
その後ヨットハーバーや大統領官邸、ヘルシンキ中央駅などを観光して、ホテルに戻る。時刻はもう22時近いが陽はまだ高い。シャワーを浴びてベッドに入るが、明るいのでカーテンを引いて暗くした。おそらく眠っている間に陽が沈んだのだろうが、夜の闇を感じることなく翌朝を迎えた。
今回巡る4カ国は、全て言語と通貨が違う。バルト三国は2004年5月にEUに加盟したが、通貨統合はまだされていないからだ。
フィンランドは、フィンランド語で、通貨はユーロ。フィンランド語は、日本人にとっては英語よりもずっと聞きやすいし話しやすい言葉ではないかと感じた。発音が比較的平易であるようだ。「こんにちは」が「ヘイ」、「ありがとう」が「キートス」など、覚えやすい言葉も多い。

リトアニアの首都ビリニュス

ビリニュス空港に到着した飛行機から降りる

ヘルシンキから飛行機に乗って、リトアニアの首都ビリニュスへ向かう。リトアニアはバルト三国の中では最も南に位置する国。フィンランドからは一番遠いが、それでも約1時間半程度到着する。
今日のリトアニアは曇ったり晴れたりで、気温もかなり低い。20度を下回るくらいである。日本では記録的な猛暑が続いており、45度と言った気温を記録している時期である。季節がひとつ逆戻りしてしまった感覚だ。

バルト三国は、ごく最近までソビエトの支配下にあった国なので、どこでも旧東側の印象を受けることが多い。交通機関もトロリーバスが縦横に走っている。
それでも5月にEUに加盟したばかりということもあって、どこも積極的に改修工事に励んでいる。観光地も施設等を更新しているし、道もやたらに工事中。そしてヨーロッパ国内からの旅行者がとても多い。スペインやイタリアから来た団体さんなどが、バルト三国どこに行っても見受けられる。反対に日本人の旅行者は極めて少なく、声をかけられると「中国人か?」と言われることの方が多かった。
ビリニュスの観光の中心は、大聖堂広場とピレス通り。大聖堂裏には有名なゲディミナスの塔(ゲディミナス城の西側の塔だけが残ったもの)があるが、工事中であり、なおかつ塔の上には無数の観光客がひしめいていた。大聖堂は改修工事が終わったのか、外も中も大変綺麗で厳かな雰囲気に満ちていた。
ここからほど近くにある三つの十字架の丘に登ると、ビリニュス市街を一望できる。丘の頂上にはその名の通り、3本の巨大な十字架が建っている。現在の十字架は1989年に再建された新しいもので、その前のものはソビエト時代に取り壊されてしまっているが、頂上へと続く道の脇に並べられているので見ることは出来る。

テレビ塔が立つビリニュスの町並み

大聖堂広場には一人の絵描きがいた。ヨーロッパの路地では絵描きは珍しくないが、彼は見るからにアルコール依存症である。しかし、生活がかかっているからなのか、吹っ切れてしまっているからかなのか、その絵は見事である。思わず2枚購入してしまう。でもやっぱりお酒買っちゃうんだろうな。
社会主義から一気に資本主義へと移行したためか、乞食や浮浪者の数は多い。インフレも大変なものらしいので、早く落ち着いてほしいものだ。外国人旅行者ということもあるが、バルト三国の物価は大変高い。ものによっては日本よりも高かったりするのだ。
午後は大統領官邸からピレス通りへと抜けて路地を散策。聖アンナ教会、夜明けの門、聖テレサ教会、旧市庁舎などを見学する。ロシア正教の聖霊教会では、教会中に三人の聖人の遺体が安置されている。おりしもミサの最中で、真ん中の祭壇に綺麗な布を掛けられて祀られていた。靴下をはいた足が布から出ていたりして、ちょっぴりドキドキである。
夕食をとっていると、急にどしゃぶりの雨になったが、それもすぐに上がり夕空が見えた。郊外のホテルに移動して、今日はおしまいだ。ホテルはビリニュス郊外のリゾートホテル。すごい力の入れようで、ここだけは共産圏を全く感じさせない。今後観光に力を入れていくというリトアニアの意志の象徴のようだ。

カウナスのブーケ

絵本に出てきそうな門構えのトラカイ城

翌日はバスに乗ってトラカイとカウナスへ。
トラカイは田舎町。しかし同時にリトアニアNo.1の観光地でもある。人気の秘密はトラカイ城。14世紀に建てられた小さなお城だが、湖の真ん中にある島に立つそれはファンタジー映画の風景そのもの。
城の中は有料で、実は写真を撮るためにはさらに別途料金がかかる(後に出てくるラトヴィアのルンダーレ宮殿もそう)。料金を支払うと服に貼り付けるカメラのシールをくれるので、それを付けて入る。大きさ自体は小さいのだが、小部屋がいくつもあり、展示品も多いため、全部見るとけっこうな時間がかかる。特に砦の内部は、急な木製階段が螺旋回廊になっており、本当に中世の世界。見応えもある。一定時間ごとに、城の内外でイベントのようなものも行われる。

時計を使いだ人間の変わった置物

午後にはカウナスに移動。ビリニュスとカウナスは、ちょうど東京と大阪(または京都)のような関係。首都も一時期はカウナスであった。市庁舎広場を中心として、聖ミカエル大聖堂、ヴィタウタス大公の教会、ペルクーナスの家、カウナス城などが広がっている。
最初に杉原千畝記念館に足をのばす。杉原千畝(ちうね)という日本人を知っているだろうか。第二次大戦の時、ナチスドイツからユダヤ人を日本経由で国外逃亡させるため、外務省の指示を無視して渡航許可証を書き続けた当時の外交官である。今では彼の行為は、日本版シンドラーのリストなどと言われている。日本ではリトアニアを知っている人はとても少ないと思うが、こんなところでも活躍していた日本人がいたことに正直驚いた。リトアニアでは、カウナスに杉原記念館が、ビリニュスにはモニュメントが建っている。

さて、どうやら本日は良き日らしく、カウナス旧市街は結婚ラッシュ。市庁舎広場にも街中にも、まさに婚礼まっただ中というカップルだらけである。教会の見学も、式の邪魔にならないように後ろからそっと覗くようにしていると、厳かな鐘が鳴り響き、神に愛を誓ったばかりの夫婦が、教会の外に止めてあった屋根のないバスに乗り込んでいく。親戚も観光客もなく、みんなで拍手をしてお祝い。ブーケを持った花嫁さんが我々にもキャンディーを配ってくれた。国も人も幸せになっていけると良いと思う。
バルト三国の中では、リトアニアは決して経済的に豊かな方ではないが、一番素朴で暖かい印象を受けた国でもあった。リトアニアの言語はリトアニア語で、通貨はリタス。英語はあんまり通じない(一般の人はまず無理)。

コウノトリの巣

無数の十字架が並ぶシャウレイの丘は厳粛な雰囲気の風景

一夜明けて、バスで一路北の国境へ。隣の国ラトヴィアへと移動する。
国境の手前で、最後のリトアニア観光としてシャウレイの丘に立ち寄った。ここの光景は凄い。何にもない麦畑が地平線まで延々と続く中、突如として無数の十字架が突き刺さった小さな小さな丘(というより盛土した場所)が現れるのだ。
いつ誰が建ててものかもわからず、その正確な数もわからない。今も増え続けているというのだ。一説にはスターリン時代、弾圧された人々を偲ぶために建てられ始めたと言われているらしいが定かではない。ただ、緑の平原の中に、静かに、本当にたくさんの十字架が並んでいるのだ。ソビエト時代に撤去も試みられたらしいが、その度に工事に従事した人間に不幸が訪れたという。
シャウレイを超えると、すぐに国境だ。ちゃんとパスポートチェックがある。

宮殿の煙突の上にコウノトリが巣を作っている

ラトヴィアに入るが風景に大きな変化はない。相変わらずどこまでも緑の平原が続いている。日本の景色で言うと、夏の北海道に似ているだろう。時折、小さな林のような森林地帯があると、道ばたにツルのような大型の鳥が羽を休めている。これ実はコウノトリである。さっきまでいたリトアニアの国鳥がコウノトリだが、実際にはラトヴィアで多く見かけることができた。
ラトヴィア最初の観光はルンダーレ宮殿。ラトヴィアのベルサイユ宮殿と呼ばれているこの宮殿は、その名の通り、中世ヨーロッパの宮殿そのものだ。見学コースも充実していて、美術品も数多くが展示されている。
しかし、一番の見所はなんと言ってもコウノトリである。先ほどから道ばたでお目にかかっているコウノトリだが、ルンダーレ宮殿の屋根の煙突には、なんと一家が巣を作っているのだ。ちょうど親が子供に飛び方を教えているところのようで、何回も羽根を広げて見せている。ほのぼのとしていて、普通に宮殿があるだけよりもずっと好印象である。

夕方にはラトヴィアの首都リガに到着する。リガは市内をダウガワ川が流れる大きな街。河口近くなので川幅も広い。そして、バルト三国の中で最も大きな街でもある。
すでに夜の暗闇を経験しなくなってから何日か経っており、ようやく明るいままというのにも慣れてきたのだが、リガも同様で、夕食後も太陽は煌々と辺りを照らしている。散策に出掛けてみることにした。
リガは人通りも多く、すっかり資本主義になじんできたという感じ。商店もたくさんあり、道行く人の顔にも笑顔が多いし、橋の上でキスをしている恋人たちもいる。高層ビルもちらほらと見かけられるし、電車に乗っている人の数も日本並みで、活気溢れる都市だ。川沿いの公園を散策し、旧市街をちらっと覗いて、ホテルに帰ってくる。

ラトヴィアの首都リガ

リガの塔の先端に猫の置物がある家

翌朝から、リガ旧市街をじっくりと観光。聖母受難教会、リガ城、三人兄弟、聖ヤコブ教会などを次々と見て回る。
中でも三人兄弟と猫の家というのが面白い。これらはどちらも建物の名前である。三人兄弟の方は、リガで一番古い建築物で、15世紀、17世紀、18世紀に建てられたものが、三件寄り添って建っている。旧市街の建物が密集したところにあるので、周囲にはもちろん他の建物もあるのだが、時代が違うものが、すぐ隣にくっついて並んでいるところが、ネーミングセンスと相まって愛嬌がある。
猫の家の方は、三人兄弟よりも大きな家の一番上に、尾を立てて街路を見下ろしている彫像の猫がいる。昔、隣の家に住むギルド商人からいやがらせを受けた住人が、怒って猫のお尻をその家に向けさせていたのが始まりだとか。途中で裁判沙汰になったらしく、今は猫の向きが変わったのだそうだか、なんとも変な家である。

リガでも街の辻々に絵描きさんや露天商がいる。一人だけとても前衛的な絵を描いている人がいたので一枚買ってみると、懇切丁寧に何が描かれているのかを説明してくれた。「とにかくオリジナルなんだよ、これは。俺はオリジナルを大切にしている。この猫は鉛筆画だし、これはアクリル。向こうの角で楽器を弾いている奴がいるだろう。あれは友達でオリジナルな曲だから、ぜひ聞いてみてくれ」。彼が言うオリジナルとは、「自分でちゃんと描いている」「一枚しかない」という意味らしい。絵が写実的でないのは画風なのだろうが、確かに有名な観光スポットを描いた絵が多いことも事実だ。買った絵はきちんとキャンバスが付いた状態で、これまたオリジナルな袋に包んでくれた。こういう買い物は値段はともかく、とても面白い。
リガの旧市街は観光ポイントも多く土産屋さんも多いので、1日中見て回っても良いところだと思う。

食事後にはバスで最後の国エストニアへ向かう。車窓左手にはちらちらとバルト海が見えるようになる。バルト海は環境問題で揺れている海。内海で水の出入りが少ないため、一度汚染されてしまうとなかなか浄化されない。バルト海に面している国も多いため、工業用排水や生活用水などが流れ込んで大変なのだそうだ。
しばらく走ると林の中の国境である。やはりパスポートチェックがありちょっと待たされる。ラトヴィアはラトヴィア語、通貨はラッツ。リガなどは経済的にも発展している印象がある。

エストニアの首都タリン

公園に置かれている木製の馬車

エストニアに入ると、とたんに道路工事が多くなる。場所によっては全面通行止めで舗装工事をしている。しかし迂回路はないので、すべての車が止まって舗装が終わるのを待っている。それでもなんとか夕食前には首都タリンに到着した。
タリンはタリン湾を挟んでフィンランドのすぐ向かい側。飛行機なら30分かからない距離にある港町だ。バルト三国の首都旧市街はすべて世界遺産になっているが、タリンもそのひとつ。ビリニュスやリガに比べて、旧市街がぐるっと城壁で囲まれており、新市街との境界線がはっきりしている。
旧市街はさらに山手地区と下町地区に別れている。山手地区の方がやや高台にあり、トームペア城や大聖堂が建つ。城壁のところまで歩いていくと、展望台もありタリンが一望できる。街の北に見える港には大型のフェリーや貨物船も入港する。新市街にはビルも建ち並び、すぐ下の公園からはこちらに手を振っている人もいる。
山手地区と下町地区の境界には一軒のレストランがあって、店には長靴の形をした大きな樋がついていた。ここから急な階段と坂を一気に下って下町地区に出ると、ほどなく旧市庁舎広場である。

ヴィル門から望むタリン旧市街

広場はタリン観光の中心地。人々でごった返している。多数のレストランと土産屋さんがひしめき合う他、自転車のタクシーやトレインバス、民族衣装を纏った人々が焼く甘いお菓子の店などが、石畳の広場に集まっていた。ヨーロッパ各地から様々な国の人が来ているようで、少し立ち止まっているとみんな気さくに話しかけてくる。
地元のエストニアの老夫婦は、私が日本から来たと知って驚いていた。「日本?東京・・、ああ東京か。東京は何年前にできたんだっけ?タリンは古いんだぜ」と片言の英語で楽しそうだ。胸に大きな「猫」「酒」の文字が描かれたTシャツを着たおばさんには、こちらから話しかけてみた。「日本語の漢字ですね」との問いかけに「え?そうなの?」と首をかしげる。この人も英語がほとんど通じないので「猫」は「cat」のことですよと理解してもらうのに、お互いかなりの苦労をして笑ってしまった。全然知らない国の人たちが、同じ観光地で笑い合っているというのは日本人にとってはとても奇妙に感じるが、ヨーロッパでは普通のことなのかもしれない。

昼食後、歩き疲れたので市庁舎広場のテラスで、地元のビールを呑む。SAKUビールという名前なのだが、この名前で長野県の佐久市と提携する話が進んでいるらしい。これにも驚きである。
タリン旧市街で有名なお土産はセーター街のセーター。ヴィル門と呼ばれる旧市街の出入り口脇の路地を入ったところがセーター街だ。城壁一面にセーターなど、織物製品が飾られて売られている。モノは良いのだが、物価が高いのでお値段の方はそんなに安くはない。
夕方までずっと旧市街を見て、食べ、遊んで、夕食も旧市街で済ませた。レストランでは伝統の舞踏ショーもあり、中世の街をゆっくりと堪能した。

お土産と思い出と

空から眺めたタリンの旧市街

いよいよ日本へ帰る日。朝から近所のスーパーへお土産を物色しに行く。キャビアがおいしいというので見に行くと、いわゆる高級のキャビアの他にも、低価格なキャビアもたくさん並んでいる。どうやらキャビアというのは「魚の卵」くらいの意味で、種類はいろいろのようだ。ケースに入った証明書付の商品以外にも、普通に家庭の食卓に並びそうなキャビアも買ってみる。エストニアはフィンランドに近く、関係も深いので、フィンランドの商品やお土産もたくさんある。中には「芸者」と書かれた日の丸が入ったチョコレートなども置いてある。予想外にたくさん買ったので、持ってきた旅行鞄に入り切らなくなり、急遽旧市街まで行って、お土産に袋自体を購入する。エストニアでは亜麻(リネン)も名産なのだ。

空港までなんとか抱えて持って行き、手荷物検査の列を待っていると、後ろから何人かのアイルランド人が声を掛けてきた。「誰か英語出来る人いないのかなー?」おもしろ半分に振り返って聞くと、仕事で来たのだという。もう6回くらい来ているそうだ。日本まではヘルシンキから10時間くらいだよと言ったら、「へぇ遠いなあ。がんばって」と笑っていた。
エストニアはエストニア語。通貨はクローン。言葉はフィンランド語に似ているので、エストニア人とフィンランド人は、互いに何を言っているのかなんとなく理解できるそうだ。数字などはほとんど同じ言い方らしい。
プロペラ機は飛び立つと、旧市街の上空を大きく旋回してタリン湾を越えていく。窓いっぱいに旧市街が見えると、機内で誰かがつぶやいた。「お別れだね」