立山・黒部アルペンルート

2003年9月

立山・黒部アルペンルート

トンネルを走るトロリーバス

夜が明けたばかりの都心ビル街を、雨粒を吹き飛ばしながら始発の新幹線が疾走していく。空は漆黒に曇り、大量の水滴が窓ガラスを激しく叩く。
台風が近づいている中、旅行に出発するという経験は初めてである。特に今回は立山登山ということもあって、危険は早めに回避しなくてはならない。判断の遅れが命に関わることもある。
この状況では登山は無理であろう。しかし、通常の交通機関は動いている。とりあえず宿でおとなしくしていることになるのだろう。せっかくの機会なのに残念だ。
このとき台風は九州以南にあったのだが、台風の影響による前線が本州を覆っていた。そのため東京地方は朝から豪雨となったのだ。

しかしながら、高崎を過ぎると状況は一変する。雨はやみ、曇りは曇りだが、雨雲のそれではなく、薄日が差すほどに天気が回復してきたのだ。妙義山系を越え、新幹線は朝まだ早い長野駅に到着した。
寒い。9月だというのに長袖を着ていても心許ない。早々にバスに乗り換え、立山・黒部アルペルーとの出発地『扇沢』へと向かう。山間の曲がりくねった道を進むこと約1時間半。扇沢駅は立ちこめる霧の中にひっそりと佇んでいた。
連休の初日にも関わらず訪れる人は少ない。売店のおじさんが、大きな声で、上に行くと弁当がないこと、そして雨具がない人はここで買った方がよいこと、を告げている。観光地という雰囲気ではない。

山奥にある黒部ダム

富山県の立山から、ここ長野県の扇沢までは、『立山・黒部アルペンルート』と名付けられた、日本屈指の山岳観光地である。3000m級の日本アルプスが連なる山々の間を、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、高原バスなど、様々な乗り物を乗り継いで縦断する。
夏期の連休ともなれば乗車整理が行われたり、入場規制がかかることもあるというが、今日はお客さんの数わずかに30名ほど。いそいそと関西電力トロリーバスに乗り込み、黒部ダムへと出発する。
扇沢-黒部ダム間を走るトロリーバスは電気で走るバスだ。バスといっても路面電車のように車体の上部に電力を取り込むためのパンダグラフが付いており、架線から電力を取り込んで走る仕組みだ。
扇沢を出るとすぐにトンネルに入る。トンネルの幅はバス1台分しかなく、対向車が来てもすれ違うことができない。もっともアルペンルートの立山-扇沢間は一般車通行禁止なので、対向車が来る心配はない。
まっすぐなトンネルの中で長野・富山県境を越え、続いて黒部ダムを造るとき最大の難関となった破砕帯(トンネル工事で水が大量に出たところ)を通過する。途中、一部トンネルの幅が広くなっている部分があり、バスはここで少し停車して、黒部ダムからやってくるバスとすれ違いをする。乗車時間15分ほどで、トンネルの中にある黒部ダム駅に到着だ。

バスの止まったところからダムまでは、長い階段を登らなくてはならない。他のお客さんといっしょに息を切らして登ると、視界が突然開け、澄んだ空気と緑の山々、エメラルドグリーンの湖が目の前に姿を現した。
黒部第四ダム。通称『くろよんダム』のダム湖と、今回登頂予定の立山連峰だ。なんと、晴れ間が見える。時折霧がかかり気温はかなり低いが、雨は降っておらず、雲も切れている。前線の雲も周囲の高い山々に遮られているのだろうか。立山と、黒部平、大観望といった、これから登っていくアルペンルートの中継地点がはっきりと見えた。
昨年の紅白歌合戦で一躍有名になったのか、中島みゆきさんの歌が、辺り一帯にBGMとして流される中、膨大な量の放水を続ける黒部ダムの堤防を歩いて、湖の反対側へと移動する。

ダムから勢いよく放水される水

再びトンネルに入ると、今度はケーブルカーの黒部湖駅があった。ここからは立山連峰の山肌を一気に登っていく。次の黒部平駅までは日本で唯一の全線地下式のケーブルカーを利用する。
ところが改札をくぐろうとすると、駅員さんに呼び止められた。どうやら私が持っている荷物が重量制限に引っかかるのではないかとのことだ。全く知らなかったのだが、荷物は一人10kgまでで、これを超えると超過料金がかかるらしいのと、ケーブルカー自体に総重量の制限があるので乗車調整をしなくはならないとのこと。私の荷物は確かに相当大きい。登山用のザックにカメラ機材が入っているからだ。ご丁寧にザックの横には三脚と登山ステッキも付いている。(他でもない、このWEBページの「素材写真コーナー」の素材を撮影するためである)
どきどきしながら、秤にザックを載せてみると、なんとかぎりぎり制限をクリア(実はちょっとおまけしてもらった)。しかも、荷物が大きいことを理由に待ち行列の一番先頭に並ばせてくれたのだ。他にも2名ほどこの恩恵にあずかっていたお客さんがいた。たまには大変な思いをして荷物を持ち歩くのも良いかもしれない。さらに、この駅員さんはカメラが趣味らしく、ケーブルカーの発車を待つ間に、いろいろとカメラの話で盛り上がった。

きれいな紫の高山植物

ケーブルカーはあっという間に黒部平に到着する。今度はそのままロープウェイに乗り継ぎだ。
次の大観望までは、またかなり登るのだが、その間にロープウェイの支柱が1本もないことが特徴なのだそうだ。支柱がないので乗り心地がよく、まさに空の展望台と謳ってあったが、正直なところ少々怖いのも事実。ロープウェイのロープが去年、開業以来初めて張り替えたばかりであるという点がちょっぴりうれしい。
大観望に到着すると、五平餅のにおいがあたりに充満している。そう言えば朝から食事をしていなかったので、ここで昼食に立山そばをいただいた。
大観望駅からは、またまたトンネルをトロリーバスで移動する。ここで立山の中腹を一気に突き抜けて、富山平野が見渡せる室堂へと出るのである。やはりバス1台分のトンネルを10分程度乗り、立山頂上の直下点を過ぎると室堂に至る。

室堂は霧雨だった。ここまで順調に雨に遭わずに来たのだが、富山側は完全に曇り。立山の頂上もはっきりと見えてはいるが、道が濡れているので危険だ。本日の登山は諦めなければならない。
しかし、室堂は観光客が多い。ここまでの3倍程の人数に一気にふくれあがったような感じだ。
周辺を少し散策したのち、友人と落ち合う約束をしている弥陀ヶ原の国民宿舎に向かう。高原バスで20分程度下るのだが、立山まで降りる人と途中の弥陀ヶ原で降りる人では、バスに乗る位置が違う。
室堂はアルペンルートの中では標高で最高地点(2,450m)に位置する。そこから弥陀ヶ原(1,930m)までは、まさに高原という雰囲気の道路を下っていく。弥陀ヶ原が近づくと、餓鬼田(がきた)と呼ばれる小さな池が点在するようになるのだが、今日は霧でほとんど見えない。
弥陀ヶ原に到着すると霧雨は雨に変わっていた。宿はバス停の目の前なので、そそくさと玄関をくぐる。
友人はすでに待っていた。予定では弥陀ヶ原周辺を散策したかったのだが、天候がいまいちなのでそのまま部屋に入り、夕食までくつろいだ。夕食は、国民宿舎とは思えないメニューで、大変おいしかったが、夜になるに連れ天気はどんどん悪化する。楽しみにしていた富山の夜景は、残念ながら見ることができなかった。

富山、高岡と大伴家持

雨に煙る立山駅

朝、目が覚めると雨がひどく降っていた。本来なら立山に登る予定の日だが、室堂に行くまでもなく下山することを決定。バスの予約を変更し、美女平に向かう。
40分ほどバスに揺られて美女平に着く。ここまで来ると、大きな樹が茂った樹林地帯になっており、高山の風景は完全に消失してしまう。
美女平から立山まではケーブルカーで降りる。こちらのケーブルカーは、黒部ダムを造るときにも利用したという貨車が、客車とは別についている。これも珍しい。最大斜度29度という斜面をごとごとと下っていくと、木々の間から建物の赤い屋根と駐車場が見えてくる。終着の立山駅である。
立山には登っていないが、アルペンルートはこれで踏破完了である。

立山の駐車場から、友人の車で一気に富山市内まで移動。予定を変更して、友人宅に荷物を預けて、そのまま富山観光に出かけることに。
富山は広くて平らだ。どこまでも見渡す限り平野が続いている。あまりに広いためか、家も1軒1件が大きく、他の都市のように家と家が隣接して建てられているのではなく、かなり離れてぽつぽつと建っているように見受けられる。統計的にも、日本有数の富裕県で、富山人の家が一番大きいそうだ。
そんな富山を友人(東京在住)がひとつひとつ丁寧に案内してくれる。この案内がまた素晴らしい。富山の歴史から名所、おみやげ物や、特徴、逸話に至るまで、観光ガイドさんよりも詳しく、面白い。私は名古屋市出身で、人並みに名古屋を紹介することはできるつもりだったのだが、名古屋市を案内しろと言われて、こんな風にできる自信がない。ふるさとを愛しているからの特技だろうか。本当に脱帽した。

瑞龍寺の庭は緑が美しい

その素晴らしい案内で、最初に向かったのは高岡大仏。高岡市内にある大仏殿だ。
街の真ん中にあるのだが、屋外に大きな大仏様が鎮座ましましている。なんでもこの大仏様、奈良の大仏、鎌倉の大仏と並んで、日本三大仏のひとつなのだそうだ。が、どこにも宣伝したり、飾ったりする雰囲気はなく、実に素朴で自然である。
次に、瑞龍寺を訪れる。瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺で、山門などが国宝に指定されている。
まずはっとするのが山門をくぐった寺の内側。正面に仏殿を構えた境内が、鮮やかなグリーンの芝生で彩られている。これが建物の焦げ茶、敷石の白と相まって非常に艶やかなのだ。雨が降っていたため、色彩はさらに美しく映え、日本のお寺のイメージが一新される。
国宝の仏殿はきわめて珍しい建築で、屋根は鉛板で葺いてあり、中に入ると軒組が実に精密で美しいフォルムを造形している。
さらに大庫裏、法堂、回廊を経て、僧堂を巡ったが、ここまで立派なお寺は全国でも数が少ないと感心させられるほどだった。天気のせいかお客さんも少なかったので、ゆっくりと堪能できたのも良かったのかもしれない。

魚の形をしたお知らせ用の叩く板

食事の後、氷見の方に足を伸ばす。氷見の海岸からは、晴れていれば海外線の向こうに立山連峰が見えるとのこと。海の上にいきなり3,000m級の山が見られる風景というのは、世界でも数カ所しかないらしい。今日は残念ながら見えないが、今度富山に来たときには見てみたい風景のひとつだ。
古来から、高岡が風景の素晴らしいところだったことがわかるのが、高岡万葉歴史館。万葉集で有名な家人、大伴家持を中心とした歴史資料館だ。入館料はわずか210円(訪問時)なのだが、大変丁寧な造り、と最新技術を凝らした展示品の数々で時間を忘れて見てしまう。
万葉集の中で、大伴家持が詠った歌は全体の約1割。その中でさらに約半数が、ここ富山(越中)時代に詠まれたものだというから、実に万葉集の約5%はこの土地にいる間に詠まれたものという計算になる。
そんな家持に関する歴史や、当時の暮らしなどを学ぶことができる上、主要な和歌はひとつひとつモニュメントとともに展示されており、ボタンを押すことによってインタラクティブに楽しめる。
地元の学生さんなどは学校で見学などしたりすると思うのだが、将来大人になったときに、こういう施設が地元にあるということは、とても有意義に感じるのではないか。先ほどの瑞龍寺もそうだが、知名度の割に「良いものを見た」という気になる場所が富山には多い。
その後も、富山市内で名物ます寿司などのおみやげ物を見たり、越中薬売りの元祖店舗で薬膳を味わったりした。

天の奇跡

夕焼け空に二重の虹が架かった

時刻は夕方に近づいて来たので、富山平野を一望できる呉羽山へと歩を進めた。この山は富山市の西方にあり、広い富山平野の中で唯一小さな丘が連なっている場所である。駐車場の木々の間から、富山市内が一望できる、デートスポットにもぴったりのところだ。
この時、天の神様がひとつの奇跡を起こした。昨日から降り続いていた雨が上がり、雲間から過ぎ去っていく今日を惜しむ赤い夕陽が、さっと差し込む。その瞬間、朱鷺色の空を駆ける大きな虹が架かったのだ。
虹は富山市から出でて、能登半島の方まで、綺麗な半円を描いて天空を横切る。虹の両端が地上に消えていく部分まではっきりと見えた。こんな虹を見たのは何年ぶりだろうか。虹はやがて二重になり、しだいに光を失っていく世界に溶け込んでいった。
まるでオペラの終幕のように劇的な1日の終わり。それは私たちにはっきりと確信させた。明日は立山に登れるのだと。

夜の帳が降りてからは、富山市役所の展望台にあがり、夜景を楽しんだ。河川敷に作られた富山空港に降りる飛行機が照明をつけて横切っていく。
それから駅北部の再開発された人工運河地域へ。富山は比較的、地域の再開発が盛んな街なのだそうだ。古き良きものがある中に、こうしてまるでヨーロッパの都会のような新しい風景が形成されていく。願わくば、このバランスを保って発展してもらいたい。
今夜は友人宅にお世話になる。大変手厚いもてなしを受けた。
景色の美しさに見とれる場所は多い。歴史や文化に触れ感動することもある。しかし、富山で心動かされたものは、友人の観光案内であり、その家族の心遣いである。旅行の楽しさは様々だが、人の温かさを感じた旅は、いつまでも自分の中に残っているのだ。そして、いつでもはっきりと思い出せる。

そして立山へ

快晴の室堂

3日目、快晴。雲ひとつなく、富山は朝から、空の青と田んぼ緑のツートンカラーに塗り分けられた。いよいよ立山を目指す。
立山は、佐伯有頼(さえきありより)が傷ついた熊を追って開山して以来、信仰の山として知られてきた。。標高3,003m。その頂は下界からもはっきりと見える。
車で立山駅まで向かい、ケーブルカーで美女平へ。高原バスに乗り換え、雲海を突き抜け、約1時間で室堂に到着する。初日のイメージが嘘のようだ。めりはりのついた景色。鮮やかに咲き誇る高山植物。日差しは強いが、台風一過の空気は澄み渡り、風が爽やかに通り抜ける。
室堂で装備を確認、準備運動の後、さっそく山頂に向けて登頂開始だ。

室堂周辺は、みくりが池など名所もあり、遊歩道もきちんと整備されている。高山植物も数多く見られる。しばらくは一般の観光客と一緒になって石畳の道を歩いていく。旧施設である立山室堂山荘を過ぎると、いよいよ遊歩道から急峻な登りとなり、登山路らしくなっていく。
ところどころに残雪があるが、雷鳥は残念ながら姿を見せてくれない。折り返しの坂道を何回か繰り返すと、一の越のロッジにたどり着いた。ここまでは比較的なんなく来られる。普通の道だからだ。
問題はここからだ。一の越からは一気に立山山頂まで登り切るのだが、このルートが岩だらけである。登山道だから仕方がないと言えばそれまでだが、ここの岩道は富士山などの比ではなく、岩ひとつひとつも大きい。無計画に登っていくとルートを見失ったり、よじ登らなくてはならないような岩が、突如出現したりしてなかなかに大変なのだ。
しかし、私が三脚を背負って登っていたせいもあるのか、会う人会う人がみなさん応援してくれて、とても心強かった。
途中で休憩しながら、友人のお母さんが作ってくれたおにぎりを頬ばったりして、小1時間程度で頂上に。
眼下に黒部湖と黒部ダムが見える。富山平野の方向は一面の雲海が広がっている。そして足下に室堂とみくりが池やみどりが池が小さくなっている。
ここ立山の頂上には神社があり、きちんとした装束を纏った神主さんや巫女さんがいて、登頂者にお札を渡して、安全を祈願してくれる。頂上の小さな社の前に座り、祝詞を聞き、御神酒を頂戴すると、普段何をしているわけでもないのに、敬虔な気持ちになるから不思議である。

標高3000mからの眺め。空が蒼い。

ところで立山は、現在いる雄山神社が標高3,003mの頂上なのだが、すぐ隣に標高3,015mの大汝山というのがあり、立山連峰では、大汝山が最高地点ということになる。せっかくなので、少しだけ縦走して3,015mの景色を堪能することにした。
約20分ほど縦走すると、大汝山の頂上に到達する。ここは本当に岩しかなく、座るのも岩の上で、荷物を置く場所を確保しなければならない。ふと、横を見ると、さっき祈祷してもらった雄山神社が見える。さらにその先には、なんと富士山の姿もあるではないか。周囲に見える山々とともに、こうした絶景を楽しめるのが、日本アルプスの醍醐味なのだ。

名残惜しいが、立山もそろそろ下山することになった。注意深く岩場を下り、一の越を過ぎて、室堂までは、往路の半分程度の時間で来られる。しかし、室堂の1日は早い。5時の最終の美女平行きに乗り、立山から車で富山に戻った。
途中、温泉で疲れを癒したが、このまま東京まで戻ることは無理なので、この日も友人宅にお世話になってしまった。

4日目

快晴の富山平野を行く

最終日は車で帰京した。神岡、安房トンネルを経て、松本から中央道へ。後は都心まで一直線だ。
名古屋に住んでいるときは高山までよく遊びに行ったし、東京に引っ越してからも、安房トンネルの出口にある平湯温泉には何度も足を運んだ。ところが、富山側から行ってみると、これらの場所はとても近いのだ。逆に言うと、あと一歩足を伸ばせば富山があるのに、今までなかなか本格的に観光していなかったというわけだ。

富山空港までは2時間に1度程度の割合で飛行機が飛んでいる。良いところは、意外にも身近にあるのかもしれない。