立山・黒部アルペンルート

夜が明けたばかりの都心ビル街を、雨粒を吹き飛ばしながら始発の新幹線が疾走していく。空は漆黒に曇り、大量の水滴が窓ガラスを激しく叩く。
台風が近づいている中、旅行に出発するという経験は初めてである。特に今回は立山登山ということもあって、危険は早めに回避しなくてはならない。判断の遅れが命に関わることもある。
この状況では登山は無理であろう。しかし、通常の交通機関は動いている。とりあえず宿でおとなしくしていることになるのだろう。せっかくの機会なのに残念だ。
このとき台風は九州以南にあったのだが、台風の影響による前線が本州を覆っていた。そのため東京地方は朝から豪雨となったのだ。
しかしながら、高崎を過ぎると状況は一変する。雨はやみ、曇りは曇りだが、雨雲のそれではなく、薄日が差すほどに天気が回復してきたのだ。妙義山系を越え、新幹線は朝まだ早い長野駅に到着した。
寒い。9月だというのに長袖を着ていても心許ない。早々にバスに乗り換え、立山・黒部アルペルーとの出発地『扇沢』へと向かう。山間の曲がりくねった道を進むこと約1時間半。扇沢駅は立ちこめる霧の中にひっそりと佇んでいた。
連休の初日にも関わらず訪れる人は少ない。売店のおじさんが、大きな声で、上に行くと弁当がないこと、そして雨具がない人はここで買った方がよいこと、を告げている。観光地という雰囲気ではない。

富山県の立山から、ここ長野県の扇沢までは、『立山・黒部アルペンルート』と名付けられた、日本屈指の山岳観光地である。3000m級の日本アルプスが連なる山々の間を、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、高原バスなど、様々な乗り物を乗り継いで縦断する。
夏期の連休ともなれば乗車整理が行われたり、入場規制がかかることもあるというが、今日はお客さんの数わずかに30名ほど。いそいそと関西電力トロリーバスに乗り込み、黒部ダムへと出発する。
扇沢-黒部ダム間を走るトロリーバスは電気で走るバスだ。バスといっても路面電車のように車体の上部に電力を取り込むためのパンダグラフが付いており、架線から電力を取り込んで走る仕組みだ。
扇沢を出るとすぐにトンネルに入る。トンネルの幅はバス1台分しかなく、対向車が来てもすれ違うことができない。もっともアルペンルートの立山-扇沢間は一般車通行禁止なので、対向車が来る心配はない。
まっすぐなトンネルの中で長野・富山県境を越え、続いて黒部ダムを造るとき最大の難関となった破砕帯(トンネル工事で水が大量に出たところ)を通過する。途中、一部トンネルの幅が広くなっている部分があり、バスはここで少し停車して、黒部ダムからやってくるバスとすれ違いをする。乗車時間15分ほどで、トンネルの中にある黒部ダム駅に到着だ。
バスの止まったところからダムまでは、長い階段を登らなくてはならない。他のお客さんといっしょに息を切らして登ると、視界が突然開け、澄んだ空気と緑の山々、エメラルドグリーンの湖が目の前に姿を現した。
黒部第四ダム。通称『くろよんダム』のダム湖と、今回登頂予定の立山連峰だ。なんと、晴れ間が見える。時折霧がかかり気温はかなり低いが、雨は降っておらず、雲も切れている。前線の雲も周囲の高い山々に遮られているのだろうか。立山と、黒部平、大観望といった、これから登っていくアルペンルートの中継地点がはっきりと見えた。
昨年の紅白歌合戦で一躍有名になったのか、中島みゆきさんの歌が、辺り一帯にBGMとして流される中、膨大な量の放水を続ける黒部ダムの堤防を歩いて、湖の反対側へと移動する。

再びトンネルに入ると、今度はケーブルカーの黒部湖駅があった。ここからは立山連峰の山肌を一気に登っていく。次の黒部平駅までは日本で唯一の全線地下式のケーブルカーを利用する。
ところが改札をくぐろうとすると、駅員さんに呼び止められた。どうやら私が持っている荷物が重量制限に引っかかるのではないかとのことだ。全く知らなかったのだが、荷物は一人10kgまでで、これを超えると超過料金がかかるらしいのと、ケーブルカー自体に総重量の制限があるので乗車調整をしなくはならないとのこと。私の荷物は確かに相当大きい。登山用のザックにカメラ機材が入っているからだ。ご丁寧にザックの横には三脚と登山ステッキも付いている。(他でもない、このWEBページの「素材写真コーナー」の素材を撮影するためである)
どきどきしながら、秤にザックを載せてみると、なんとかぎりぎり制限をクリア(実はちょっとおまけしてもらった)。しかも、荷物が大きいことを理由に待ち行列の一番先頭に並ばせてくれたのだ。他にも2名ほどこの恩恵にあずかっていたお客さんがいた。たまには大変な思いをして荷物を持ち歩くのも良いかもしれない。さらに、この駅員さんはカメラが趣味らしく、ケーブルカーの発車を待つ間に、いろいろとカメラの話で盛り上がった。

ケーブルカーはあっという間に黒部平に到着する。今度はそのままロープウェイに乗り継ぎだ。
次の大観望までは、またかなり登るのだが、その間にロープウェイの支柱が1本もないことが特徴なのだそうだ。支柱がないので乗り心地がよく、まさに空の展望台と謳ってあったが、正直なところ少々怖いのも事実。ロープウェイのロープが去年、開業以来初めて張り替えたばかりであるという点がちょっぴりうれしい。
大観望に到着すると、五平餅のにおいがあたりに充満している。そう言えば朝から食事をしていなかったので、ここで昼食に立山そばをいただいた。
大観望駅からは、またまたトンネルをトロリーバスで移動する。ここで立山の中腹を一気に突き抜けて、富山平野が見渡せる室堂へと出るのである。やはりバス1台分のトンネルを10分程度乗り、立山頂上の直下点を過ぎると室堂に至る。
室堂は霧雨だった。ここまで順調に雨に遭わずに来たのだが、富山側は完全に曇り。立山の頂上もはっきりと見えてはいるが、道が濡れているので危険だ。本日の登山は諦めなければならない。
しかし、室堂は観光客が多い。ここまでの3倍程の人数に一気にふくれあがったような感じだ。
周辺を少し散策したのち、友人と落ち合う約束をしている弥陀ヶ原の国民宿舎に向かう。高原バスで20分程度下るのだが、立山まで降りる人と途中の弥陀ヶ原で降りる人では、バスに乗る位置が違う。
室堂はアルペンルートの中では標高で最高地点(2,450m)に位置する。そこから弥陀ヶ原(1,930m)までは、まさに高原という雰囲気の道路を下っていく。弥陀ヶ原が近づくと、餓鬼田(がきた)と呼ばれる小さな池が点在するようになるのだが、今日は霧でほとんど見えない。
弥陀ヶ原に到着すると霧雨は雨に変わっていた。宿はバス停の目の前なので、そそくさと玄関をくぐる。
友人はすでに待っていた。予定では弥陀ヶ原周辺を散策したかったのだが、天候がいまいちなのでそのまま部屋に入り、夕食までくつろいだ。夕食は、国民宿舎とは思えないメニューで、大変おいしかったが、夜になるに連れ天気はどんどん悪化する。楽しみにしていた富山の夜景は、残念ながら見ることができなかった。