追憶の路面電車
岐阜の路面電車が廃止になるという話を聞いて、始発の新幹線に乗った。ラストランまであと何日と迫った最後のチャンスである。東京は快晴であったが、名古屋駅に降り立つと惜別の雨が降り始めた。10年ぶりの故郷は暗く湿っぽい雰囲気に包まれていた。
名鉄電車に乗って岐阜までは30分。地下の駅にやって来た列車をみて、ずいぶんモダンになった思う。私が小さい頃の名鉄電車といったら、おもちゃ箱から取り出したような様々な形と種類の車両が(つまり旧式ということなのだが)、いくつも繋がって走っていた。パノラマカーの後ろに昭和初期の頃をイメージさせるいかつい車両がくっついていたり、思い切り走ると壊れるのではないかと思うような、高いうなりを上げるモーターを搭載した電車が、「高速」なんていうサボをつけて100km以上で疾走したりしていた。ちなみに「高速」とはそういう種類である。確か、停車駅が少ない順に、特急、高速、急行、準急、普通となっていたと記憶している。特急は指定料金がかかるのだが、高速はかからない。運賃だけで乗車できるのに停車駅は特急とほとんど変わらない、お得な列車なのだ。岐阜に行くときは、必ず高速を狙って乗っていたように思う。ところが今日の列車はどうだろう。首都圏を走っても違和感のない綺麗なフォルムの車両には、カラーのデジタル方向幕が付いている。顧客サービスは向上しているようだが、なんとなく「名鉄らしくない」と感じてしまうのが自分でもおかしい。
岐阜に到着すると、さっそく駅前に路面電車がちょこんと待っていた。こちらも白を基調とした配色の新しい車両だ。早朝の町を抜けて、終点の黒野まで乗り通した。まだ早い時間帯なので乗客は少ないが、カメラを持った鉄道ファンが多い。写真を撮るためだろうか、三々五々途中駅で乗降がある。
岐阜の路面電車にはたくさんの思い出がある。母の友人が長良北町近くに住んでおり、家族でよく遊びに行ったものだ。長良北町は当時、路面電車の終点であった。今日の路線に先立って廃止になっているので、もう乗ることができない路線である。細身の電車は繁華街を抜け、金華山の裾を曲がって、長良川に架かる大きな端を渡っていった。夜になると、木造の車内に橙色の電球が明るく灯り、車窓には鵜飼いの火が流れていたのが印象深い。
柳ヶ瀬で母と友人が女性特有の長い買い物をするのに耐えきれず、ひとりで電車に乗っても良いかと尋ねたことがある。母も面倒だったのだろうか、即OKの返事をもらえたので、嬉々として普段乗らない美濃町方面への列車に乗って、刃物の町、関まで行った。市内線と違ってどんどんと田舎になる車窓にわくわくしながら外を見ようとするのだが、美濃町線の電車(モ600形)は窓が高く、背の低かった私はずいぶん苦労した。
休日には谷汲山まで足を伸ばすこともあった。岐阜駅前から急行電車が出ており、それに乗ると乗り換えなしで谷汲まで行けたのだ。こちらは2両編成で、円い窓の付いた大正生まれのレトロな車両であった。路面電車にしては大型の列車で、乗り降りするときはステップが出てくる。忠節駅から先は、路面ではなく普通の線路になるので、普通のサイズの列車が乗り入れていたのだと思う。
黒野駅は、その谷汲山に行く途中の駅である。こちらも廃止によって終点になってしまったが、以前はこの先に、谷汲と揖斐まで線路が延びていた。雨は相変わらず降っていたが、西の空は雲が切れ始め、午後は天気が回復する兆しが伺えた。 駅の軒先には白い猫が、ずぶ濡れになりながら郵便ポストを守っている。そのすぐ横に廃止を知らせる看板。記念グッズを販売する駅員さん、写真を撮る私を含めたファン等が入り乱れ、かなりの賑わいである。
今日のうちに美濃町線にも乗りたいので、記念グッズ等を買って岐阜に戻る電車に乗る。せっかくなので、途中いくつかの駅で途中下車して散策。ぬかるんだ道に菜の花が咲いていた。その脇を路面電車が走っていく。もう車内は人で満員だ。
路面区間と軌道区間の切り換え点である忠節駅では懐かしい電車が側線に止まっているのを発見。赤いずんぐりとした車体の路面電車。私が乗っていた頃の電車である。残念ながら今日は動かないのかもしれない。
岐阜駅まで戻り、今度は美濃町線に乗車する。単線区間がほとんどだからだろうか、列車の本数は美濃町線の方が圧倒的に少ない。ちょうど出てしまったばかりで、約1時間も列車がないので、途中の市ノ坪駅までは歩いていくことにした。市ノ坪駅には車庫があり、そこなら先ほどの忠節駅のように、懐かしい電車が止まっているかもしれないと思ったからだ。結果的にこれは大正解で、昔、谷汲まで乗った大正生まれの丸窓電車(モ510形)がお昼寝していた。もう走ることはないのかもしれないが、つい数日前には実際にお客さんを乗せて走っていたそうである。
車庫で様々な電車を眺めていると、ようやく電車が走ってきたので、小学生の時の大冒険の地、関まで行ってみることにした。下芥見(しもあくたみ)駅を過ぎると、平行していた車道を離れて、まるで昭和初期の頃ような風景が展開する。やがて新関駅に到着。空も晴れて、春の日差しがまぶしい。少し町を歩いてから帰りの便に乗る。
帰りは日野橋で徹明町行きの電車に乗り換える。美濃町線は、岐阜駅始発と徹明町(繁華街の柳ヶ瀬)始発の二つの経路があり、それぞれの電車に日野橋駅で乗り換えることができる。ここから途中の競輪場前駅までの区間は、2台の列車がちょっとだけ間隔を空けて続けて走るという珍しい運転方式なのだ。他にこういう方式があるのかどうかは不明だが、珍しい方式で最後まで運転していたということで、沿線には見送る鉄道ファンも一段と多くなる。
関からのんびりと1時間ほどかけて、終着徹明町に到着。追憶の路面電車の永遠の終着駅である。