瀬戸大橋に登る

2013年5月

2013年は瀬戸大橋開業25周年

北備讃瀬戸大橋の橋脚の上から香川県側を望む。海原と工業地域が見える。

瀬戸大橋は本州と四国を結んでいる橋のうち、岡山県の児島と香川県の坂出を繋ぐルートに架かっている、全部で10個の橋の総称である。
瀬戸大橋という名前は有名だが、実際に『瀬戸大橋』という名前の橋が実在するわけではない。瀬戸内海には島が多く、岡山県から香川県までは、飛び石のように並んでいるいくつかの島と島の間に橋が架かっている。島から島へと渡りながら瀬戸内海を横断のだ。
児島-坂出間のルートではその橋の数が10個で、それらをまとめた名前が『瀬戸大橋』である。
※10個のうち「瀬戸大橋」の名が付く橋は3個ある。

瀬戸大橋が開通したのは、1988年の4月10日。
1988年は昭和63年で、この約1ヶ月前の3月には青函トンネルが開通したばかり。瀬戸大橋の開通によって、本州、九州、四国、北海道が繋がった劇的な年である。昭和は次の64年の年明け7日に終わってしまうので、まさに昭和最後の一大イベントだった。

一方でJRは国鉄から民営化されて、まだ1年。
青函トンネルとこの瀬戸大橋によって、すべての鉄道会社がレールで結ばれることになったことから『レールが結ぶ、一本列島。』というキャッチコピーでキャンペーンが行なわれ、多くの新しい列車が登場した。
青函トンネルの方は、北斗星、はまなすという寝台列車が華やかだったが、瀬戸大橋の方は四国内の特急であったしおかぜ、南風が、共に岡山始発になった。寝台特急は東京発宇野行きだった瀬戸が、高松行きに変更された。
現在では寝台特急は消滅寸前になっているが、瀬戸がいまもサンライズ瀬戸として健在で走っているのは、実際に便利な時間帯に設定されていることもあり、健闘しているなと思う。

その開通から2013年で25年が経過した。
瀬戸大橋によって本州と四国が繋がるというのは、当時はかなりセンセーショナルだったし、すごい時代になったという実感もあった。
当時の日本はバブル景気のまっただ中で、今から思えばきらびやかで勢いがあった。私自身もちょうど中学校から高校へと進学するタイミングだったので、青函トンネルと瀬戸大橋が次々に開通したことは、確かに明るくて先進的な未来を実感させてくれるものであった。

そう考えるとあっと言う間の25年間だ。
バブル景気がはじけて『失われた20年』などと言われているが、そんなことを言われると、私の世代は大学から就職して現在までが全部『失われて』しまっていることになり、複雑な気持ちになる。実際にはそういうのは一部のお金持ちの人の話であって、日本はその間にもずっと頑張ってきたのだと思う。
この25年間の間に私は何回も瀬戸大橋を渡って四国に行ったが、開通前の小学校5年生の時に宇高連絡船を使って初めて上陸した四国と比較すると、様々な点で飛躍的に発展していると感じている。

海上に張り出している作業用の通路

その瀬戸大橋に歩いて登ることができることを知った。
瀬戸大橋は本州と四国を結ぶ橋の中では、唯一鉄道と道路の両方が通っている橋である。二階建て構造になっており、上の階を高速道が、下の階を鉄道(JR瀬戸大橋線)が通過しているが、橋自体の保守管理は本四高速という道路の会社が、鉄道部分も含めて担当している。
この本四高速という会社では、瀬戸大橋に登って見学をするツアーを、不定期で開催しているのである。
2013年は開業25周年という節目の年であったため、ツアーは本四高速だけでなく、JR四国主催でも募集されていた。
ただし、狭い橋の上に登るということで、1回あたりの参加人数が少数であることと、開催日が相当限られている。立地も東京からは距離があるためダメ元で応募したのだが、無事に当選したので、経路途中の大阪に住んでいる友人を誘って参加することにした。

瀬戸大橋の登頂見学には他のツアーにはない厳しい条件が付加されている。
服装や持ち物制限、長いはしごを登れることなどの行動面の条件は良いとして、一番難しいのは気象条件だ。
瀬戸大橋は何もない海の真ん中を横断している上、橋を支えている柱はとても高いため、危険を伴う雨天ではだめで、晴れていても橋の上空の風速が秒速10m以下でないと中止になってしまう。
予備日や予備時間もないため、当日は一発勝負。天候条件が満たされなければ、全くの無駄足だ。
しかし、青函トンネルも見学したので、やはり瀬戸大橋も見てみたい!という気持ちでとにかくチャレンジすることにした。

列車で瀬戸大橋を渡る

岡山駅に停車中の快速マリンライナー

2013年5月。
いよいよ当日がやってきた。天気は晴れ。地上では風もそれほどないように感じるが、海上100mを越える上空ではどうだろうか。

本四高速のツアーとJRのツアーの違いは、見学の出発点だ。
本四高速のコースでは瀬戸大橋の途中にある与島PAというパーキングエリアが集合・解散場所になる。パーキングエリアまでは車などで行かなくてはならない。これは東京出発であることを考えると現実的ではない。
一方でJR四国のコースの集合・解散場所は、四国内のJR主要駅。四国各地の駅から列車で宇多津駅まで行き、そこからバスで与島PAを経由して橋に登る。帰りも出発地の駅まで戻してくれる。
JR四国のコースに東京から参加する場合には、必然的にまず列車で1度瀬戸大橋を通過してから、今度はバスで途中まで戻って見学するという経路になる。これから見学する橋を直前に列車で通過することができるという点もメリットだ。

まずは午前中に岡山駅から、快速マリンライナーで坂出駅に向かう。
この列車も瀬戸大橋が出来た時に新設された列車なので、同じく25周年だろう。
高松方向の先頭1号車は二階建ての展望車両になっていて、一階席が普通車指定席、二階席がグリーン車という構造だ。また、先頭部の8席は運転席越しに前面展望ができるパノラマグリーン車となっている。
快速列車なので、1号車以外は特別料金なしで乗車できる普通の通勤型列車だが、1号車だけはちょっと観光気分を味わえるというわけだ。

岡山を発車したマリンライナーは市街地を抜けると、茶屋町駅までは郊外を走る。部分的に単線になっている宇野線だが、四国からの特急列車や観光トロッコ列車などと次々にすれ違い、本四を結ぶ幹線であることがわかる。
一般的には『瀬戸大橋線』という愛称が付いている区間だが、茶屋町までは宇野線、そこから先は本四備讃線というのが正式名称だ。
瀬戸大橋が開通する以前は、宇野線の終点である宇野駅が宇高連絡線の港だった。瀬戸大橋ができた時に、途中の茶屋町から線路を分岐させて橋に繋げているのである。

茶屋町駅から新線区間に入ると、複線高架の高規格路線になり、トンネルで直線的に児島駅へと向かう。路線も乗り心地も全く違うので、青函トンネルの前後と同じで、明らかに新線区間であることが体感できる。
児島駅はJR西日本とJR四国の境界駅。ここで両社の乗務員が交代する。運転士も交代して出発。
進行左手に瀬戸内海を見ながらぐんぐんと速度を上げていくと、すぐにトンネルに入る。このトンネルを抜けると瀬戸大橋。暗闇からいきなり海の上に飛び出す風景は実にドラマチックだ。
トンネルから橋に切り替わる部分には、すごい技術が使われているのだが、それは後ほど紹介することにして、列車は左右に瀬戸内海の島々を眺めながら瀬戸大橋を進んでいく。

快速マリンライナーから眺める瀬戸内海の景色。美しい島々が見える。

海面よりもかなり高い位置を走っていて、さらに橋にはかなりの幅があるため、高さの割には怖さはほとんど感じない。車窓からは海と島々が見えるのものの、レールそのものは高架橋を走っているような印象だ。
瀬戸大橋は元々は新幹線を通せる複々線幅の規格として設計されている。現在は橋の中央を境目にして、左右に在来線の上下線が通っているが、本来は、橋の左右にはそれぞれ在来線の複線と新幹線の複線が通ることが想定されている。
瀬戸大橋は吊り橋で全体を安定させるために重量が必要なので、いまは新幹線は通っていなくても、その分の重りが外側の線路が通る予定区画にちゃんと設置されている。
パノラマ席から前を見ると、橋の上は十分なスペースがあり、海面は全く見えない。上には高速道路が通っているため、鉄骨で出来たトンネルを通過しているような気分だ。

ゴウン、ゴウンというやや重たい音を響かせながら、列車は進んでいく。
実際にはかなり速度を出しているのだが、すぐ横に何もない空中を走行するため、ゆっくりと空を渡っていくような感覚だ。
本州と北海道の間は青函トンネルなので外の景色は全く見えないが、瀬戸大橋は橋で景色がよく見えるため、車窓としては楽しめる区間だと思う。
ただ、ローカル線の川に架かっているような、いかにも橋といったイメージはない。

窓の外を見ると、線路の脇に平行して作業用の細い通路が取り付けられているのが見える。
その通路が、今日、見学の時に実際に歩くことになる通路だ。列車で通っている時は安心感があるが、いざあそこを歩くのかと思うと、ちょっとドキドキしてくる。

瀬戸大橋は複数の橋の総称なので、ひとつの橋を渡ると次の島に渡ることになる。そして、またすぐに次の橋へと進入していく。これを繰り返して海峡を渡るのだ。
列車の先頭から見ているとよくわかるが、レールはまっすぐ四国に向かっているのではなく、島のところでくねくねと曲がりながら走っていることに気がつく。
島と島の間は大きな吊り橋で結ばれているが、陸地の区間も高架橋で走り抜けていく。『瀬戸大橋』にはこの高架橋も橋としてカウントされているので、海の上を渡る橋の数が10個なのではない。実際に島と島との間を渡るのは6箇所だ。

本州と四国の真ん中あたりに大きな島がある。ここが与島。
実際にはひとつ前の羽佐島と与島の2つを、与島橋という長いトラス橋で一気に渡るため、吊り橋の区間が途切れていて、ちょっと一休みみたいな感じになった部分だ。高速道路では与島にパーキングエリアが作られていて、車を降りて休憩することが出来る。
列車の方は駅も何もないのでそのまま通過するが、進行右側に高速のパーキングエリアを見ることができる。

瀬戸大橋が通っている区間の瀬戸内海は、均等に島があるわけではなく、岡山県よりにやや多くの島が点在している。
与島から対岸の坂出までの間には、途中に三つ子島しかないため、後半は2つの長い吊り橋で結ばれている。ここから先は本当に海の上を走ることになる。
よくニュースなどでも見かける、一般に瀬戸大橋と言った場合にイメージする大きな吊り橋は、ここに架かっている北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋であることが多い。三つ子島が小さいため、この2つの橋は連続しているように見え、とても長大な吊り橋に見える。

瀬戸大橋を渡りきると四国だ。香川県の坂出市になる。
鉄道は渡りきったところが三角形をしたデルタ線になっている。岡山始発のほとんどの特急は線路を直進して、宇多津駅から多度津方向に向かうが、マリンライナーは左に大きく曲って高松方面へと進路を変える。
右方向から宇多津駅からのデルタ線と合流して、少し走ると坂出駅に到着。
マリンライナーの終点は次の停車駅である高松駅だが、ここで下車して普通列車に乗り換え、1駅隣の宇多津駅まで行く。
いよいよ瀬戸大橋の見学だ。

瀬戸大橋への登頂

北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋

駅前からJR四国のバスに乗り換えて、先ほど通過した与島PAまで戻る。
高速道路の料金所には瀬戸大橋の風速が表示されているのだが、現在の数値は8m/秒。ぎりぎりでOK。見学時間まではまだ時間があるが、今日は大丈夫でしょうということで、ひとまずは安心。

与島PAで昼食。PA内のレストランで食事をする。
与島は香川県ということでやはりさぬきうどんかと思ったが、四国にはかなりおいしい製麺所のうどんが多数あるため、ここはキッズランチで。
なんかいろいろと入っていて一番おかずが多彩で、変なおもちゃとかもなかったので、いい年してお子様ランチ。一応確認したら『大人でも大丈夫ですよ』と言われた。

これから登る橋を確認しよう。
写真に写っている橋が北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋。正面が北備讃瀬戸大橋で、右手奥、3本目と4本目橋脚がある橋が南備讃瀬戸大橋だ。

写真の中央の高い橋脚に登る。つまり、北備讃瀬戸大橋の北側の橋脚ということになる。
見えている橋脚の中では最も高さは低いが、それでも海面からの高さは175mになる。
まずはPA内にある左手の大きな土台の中に入り、そこから橋に登って、水平方向に鉄塔まで橋を渡って移動する。
橋脚のところまで移動したら、そこから垂直にてっぺんまで登頂し、道路を挟んで逆サイドに渡って降りてくるというコースだ。

本四高速の人と合流して、注意事項などの説明を受けてヘルメットをかぶる。
ヘルメットは色分けされていて、それによって2つのグループに分かれる。同じ色のグループの中でもさらにグループに分割されて、最終的には5人程度の少人数単位になって行動することが伝達された。
これは橋脚内が狭く行動範囲が限られることと、エレベーター等の積載人数に制限があるためだ。一度に大勢は登れない。

係員の指示に従って、まずはアンカレイジと呼ばれる巨大なコンクリートの塊の麓まで歩く。
アンカレイジは吊り橋を支える最重要の構造物。
吊り橋のメインロープの張力は、橋の両端に設置されているこのアンカレイジがその自重で支えている。アンカレイジこそが瀬戸大橋の要と言える。

巨大なアンカレイジには小さな扉があり、そこから中に入れるようになっている。
扉はちょうど北備讃瀬戸大橋の真下に位置しているため、見上げると空を覆うようにして橋桁が通っているのが見える。
今からあの橋桁まで登るわけだが、あそこまででもかなりの高さがあることがわかる。都市部で見かける高速道路の高架橋とは桁が違っている大きさだ。あの上を高速道路も鉄道も走っているのかと思うと圧倒される。

アンカレイジの内部には想像上の空間が広がっている

アンカレイジの中に入った。
橋を支えるコンクリートの塊だから、中身はぎっしりとコンクリートで詰まっているのだろうと思っていたらそうではなく、中はがらんとした空洞になっていた。
メインケーブルを支えるのに必要な重量を計算したところ、中身をすべてコンクリートで埋めてしまうと重量が多すぎるため、適量のコンクリートでアンカレイジを作ったために、中身が空洞になっているとのことだ。
アンカレイジの中には、保守用の階段やエレベーターが設置され、一階部分には瀬戸大橋に関する資料が展示されている。

グルーブことに何分割かに分かれてエレベーターで、アンカレイジの上端部分まで上がる。
降りたところから少し階段を登ると、鉄道線路が通っている橋の一階部分に出る。下から見た高さを考えると、あっさりと登ってしまったなという印象を受ける。エレベーターの存在が非常に大きい。
階段から見上げると、ゴーという音を立てて、ちょうど四国方面行きの電車が通過していった。
瀬戸大橋を通過する電車の時刻表は、与島PAにも掲示されているので、それに合わせて登ればちょうど電車が通過するところを見られるのだが、見学スケジュールの関係で一カ所にとどまって電車を待っていることはできないので、列車の通過はある程度運に左右される。
しかし、瀬戸大橋線は運行本数がわりと多いので、見学中には少なくとも1本は列車が通過するくらいの頻度では走っている。

瀬戸大橋の鉄道部。新幹線が取れる幅が確保されている

階段を上がりきると、鉄道線路の真横に出た。
列車から見た管理用通路だ。レールがすぐ真横にある。
通路から見ると、四角く組まれた鉄骨がずっと続いて見える。電車の前から見た時と同じだが、こちらから見た方が橋の左右にさらに線路が2線ずつ敷けるスペース(新幹線を増設できるスペース)が設置されていることがよくわかる。

ここから橋脚までは線路に沿って歩いて移動する。
足下はしっかりしているが、通路全体が編み目状になっているので、歩いている真下の風景が透けて見える。微妙に現実感がある高さなので、ちょっと怖い。
また、通路には斜めの鉄骨などが張り出していたりして、まっすぐには歩けない。所々くぐったり背を低くしたりして通り抜けなくてはならない部分があるため、十分な注意が必要だ。
横を見ると出発した与島PAが見えた。瀬戸内海を航行する船や海原も見えて、景色は最高だ。
風があったら吹き飛ばされてしまいそうなので、風速10m以下という制限は妥当だなと思う。

橋脚に着くと、また階段を上ってひとつ上の階層に登る。高速道路が通っている階層だ。
こちらは線路の階層とは異なっていて、サイドに通路はない。高速道路だけが真ん中を走っている。
しかし、道路には防音壁などがなく、道の真横なので、走行中の車のドライバーとまともに目が合う状態だ。時折、ドライバーが驚いたような顔をして走り去っていくのがわかる。
橋の真ん中にいきなり人が立っているように見えるだろうから、驚くのも理解できる。こちらも不思議な感覚だ。

ここから橋脚のてっぺんまでは、小さなエレベーターで一気に登る。
瀬戸大橋の上下移動はほとんどがエレベーターで、階段で自分の足で登るのは数十段程度しかない。
保守管理の作業も毎回登っていたら大変だから、こういう設備が充実していることも大切なことだと思う。
橋脚は遠くから見ると細い柱に見えるが、実際にはかなり巨大な構造物で、ちょっとしたビルのようなものになっている。橋脚の中を細かく横に移動したり、階段を上ったりしていると、突然、頂上に出た。

絶景

北備讃瀬戸大橋の頂上部分

頂上というよりは屋上という感じだろうか。
もっとギリギリで高くて怖いところを想像していたのだが、意外と広さがあり、全体が高い壁で覆われているので、マンションの屋上とそんなに変わらない雰囲気だ。
写真で立ってアンテナを見上げている人物が私の友人なのだが、壁の高さは大人の肩くらいまであるので、間違って転落するということはまずなさそう。
壁の下の方にはのぞき窓があって、そこから首を出して下を眺めることもできるようになっているが、そんなことをしなくても、普通に壁越しに絶景を眺めることが出来る。

岡山県側は眼下に与島が見え、その向こうには曲がりくねって島々を渡っていく瀬戸大橋と本州が見える。
香川県側は対照的に大海原が広がっていて、その中を一直線に瀬戸大橋が突き抜けている。対岸には坂出の工業地域が見える。海面に太陽が反射してとても綺麗だ。
島々が浮かぶ穏やかな瀬戸内海。空と海の真ん中でぐるりと周囲を見渡すと、地球が丸くなっているのがよくわかる。鳥になったような爽快な気分が味わえた。
雨の日も保守をしなければならない作業の人は大変だと思うが、こうして晴天の日に登る気分は格別だった。

反対側の橋脚から降りて、また線路脇を歩いて戻る。
帰りは線路を歩いている時に、特急しおかぜとマリンライナーが通過していった。
マリンライナーの座席の人とは普通に目が合ってしまう距離だ。車のドライバーほど驚く人はいなかったが、「あー、人がいるなあ」という視線で見られる。

北備讃瀬戸大橋の頂上から眺める与島

アンカレイジまで戻り、工事の様子や模型などの展示を見学する。
瀬戸大橋は模型を作って風への耐久度や重たい列車が乗った時の状況などをシミュレーションして作られている。
工事も大工事で、見えている橋の部分よりも、その土台を海中に作る工事がとても大変だったことがわかる。

個人的に興味を惹いたのは、鉄道線路と橋の接続部。マリンライナーでトンネルを出た直後に通過した部分だ。
瀬戸大橋は吊り橋なので、風の影響や上を走っている列車や車の影響で、常に上下左右に揺れている。また列車自体が橋に差し掛かる時にもたわんでしまう。
一方で鉄道の線路はしっかりと固定されていないと、列車はまともに走れない。
揺れている橋と常に固定されている地上のレールを、どうやって接続するかが難しいのだ。普通に繋いでしまうと接続部が折れ曲がったり、離れて隙間が出来たりしてしまう。
この問題は、レールをスライドさせることによって解決している。
橋と陸地の接続部では、ガイドレールに守られた部分のレールが摺り合わせさせるように重なっていて、その部分が前後にスライドすることによって、橋と地上のずれを吸収する仕組みになっているのだ。
列車に乗っていても何も違和感は感じなかったが、非常によく考えられているなと感心する。

見学を終えて、またバスで宇多津駅まで戻る。
登った橋脚の下を通って行くと、何気なく通過していた瀬戸大橋がまた違った印象に見える。
日頃からメンテナンスしてくれる人への感謝の気持ちも沸いたりして、そういうところが社会見学の良い点ではないだろうか。